
脳梗塞で倒れて入院
2014/3/28金曜日
眩暈と激しい嘔吐に襲われ、半身動けなくなり救急車で搬送される。
しかし、CT等の検査はされず、吐気が止まらず半身動かせない状態で、無理やり帰宅させらる。
一晩中吐き続け、その後吐血し再度救急車で別の病院(福岡記念病院)へ搬送される。
日をまたいだ土曜日明け方、病院のベッドにぐったりとしていたらしい私は小脳梗塞と診断される。
※最初に運ばれた病院のカルテ要求を2018年に行い、それを確認したら、血液検査しかされていなかった。
(倒れて8日後)
2014/4/5土曜日
吐気がおさまってきた。
目が開けられなかったのが開けられるようになってきた。
口をしっかり開けて喋られなかったのが口をしっかりと開けて喋られるようになってきた。
全く動けなかったのが少しずつ動けるようになってきた。
ケイタイも触れるようになった。
(倒れて11日後)
2014/4/8火曜日
早く退院したくて仕方なかった。
このときはまだ事の重大さに気づいていない。すぐに治ると思っていた。
ごはんを食べることも、トイレに行くことも、歩くことも、何もかもが普通にできなくなっていた。
普通のことができるようになりたかった。
小脳梗塞と診断し、私を助けてくれたお医者さんが、
「小脳でよかったですね。」
「左でよかったですね。」
と言っていた。
そのときの私にはあまり響かなかったが、この意味が後々きいてくる。
急性期病院でのリハビリは、
理学療法士さんと作業療法士さんと言語聴覚士さんの3人によるものをそれぞれ受けた。
私の年齢と性別に配慮してくれてすべて女性をつけてくれた。
この3人のおかげで私はかなり良くなった。
回復期でもこの人たちにみてもらっていたら回復度合いが違ったのではないかとすら思ってしまうくらい。
2014/3/28~2014/4/24(27日)の間急性期病院にいた。
ベッドから起きられない状態から車椅子になり、歩行器になり、杖を使うところまでになった。
手も肩から震えていたのはおさまった。
喋ることも、舌のまわらなささはあっても、
少しずつ普通になってきた。
お隣のベッドの方とも話せる程度に。
福岡記念病院の皆様(担当医さん、理学療法士さん、作業療法士さん、言語聴覚士さん)に私は助けられた。
倒れて不自由な身体になって、
当たり前のことに心から感謝するようになった。
当たり前に食事をし、
当たり前に動き、
当たり前に仕事をし、
当たり前に風呂に入っていた
それらの当たり前のことができなくなった。
当たり前の生活はなんとありがたいことかと思った。
当たり前のことは奇跡だ。
回復期病院へ転院
(倒れて27日後)
2014/4/24木曜日
回復期病院へ転院。
急性期病院では、4月中旬頃に「あと一ヶ月」と言われていたのに、転院先の病院では「あと3か月」と言われかなりショックを受けた。
後になって、回復期病院に利益が出るのが3か月だからとわかる。
実際病院が私を退院させたのはそのスケジュール通りだった。
良くなったからではない。
入院後半は消化試合のようだった。
変化はないのに病院にいないといけない状況。
回復期病院では1日3回各1時間リハビリがあった。
私はそれでは足りないと思い、理学療法士さんたちに自主練メニューをつくってもらって毎日部屋で自主練をしていた。
手の失調は相変わらずひどかった。
(倒れて37日後)
2014/5/4日曜日
自分の歩行姿をスマホで動画に撮ってもらった。
そもそも左側の違和感は感じていたが、やはり変な歩き方だった。
左膝がいちいち外を向いてた。
療法士さんたちは何も言ってくれなかった。
この日、歩行器から杖になった。
(倒れて66日後)
2014/6/2月曜日
病棟内独歩になった。
足の回復をかなり感じていた。
担当の理学療法士さん曰く、入院時からすると1.5~2倍の上昇傾向だったそう。
(倒れて75日後)
2014/6/11水曜日
日に日に回復していた。
一週間ごとに良くなっていた。
一週間前にはできなかったことができるようになる、というのを一週間ごとにクリアしていて、療法士さんが驚いていたのを覚えている。
(倒れて79日後)
2014/6/15日曜日
ステフ(上肢機能検査)をした。
自分の目指していた点数より低かったが、作業療法士さんたちからすると「6月末にこれくらいの点数ならいい」と思っていた点数だったらしい。
一週間でかなり点数が上がったらしかった。
(倒れて84日後)
2014/6/20金曜日
左手は大きな震えはおさまり、指先でコインをつまんだりすることが少しずつできるようになっていた。
(倒れて92日後)
2014/6/28土曜日
外泊日。
入院生活の異質さをまざまざと感じた。
(倒れて104日後)
2014/7/10木曜日
退院。
退院前に、仕事のときの靴をどうしようか悩んでいて、担当の理学療法士さんに相談すると、そんな相談は初めてと言われた。
患者さんが年配の方ばかりだったため靴で悩む話を聞いたことがなかったようだ。
私にとっては退院後の重要な問題。
その後、アシックスのアシックスウォーキング(シューズ)に救われた。
ソールがスニーカー使用で安定感もあって疲れもなく安心して履ける。
入院していた時、激しく泣きたくなるときがあった。
もちろん日々つらいが毎日そんな衝動にかられるわけではない。時々激しく泣きたくなるときがあったのだ。
そんな時は、泣き場所は風呂場と決めていた。風呂場は場所が病室やナースステーションから離れているし、当然一人なので誰にも見られることもないし、シャワーの音で泣き声もかき消されるからだ。
泣くとすっきりしていた。
とにもかくにも、精神的に相当つらかった。
たった約3か月半がまるで1年くらいいたような気分で、「出られる日がくるのか」と思えるほどだった。ただただとにかく精神的にきつかった。
マイナスの感情のない日はなかった。
落ち込んで、イライラして、なんとか立ち直らせて、また落ち込んで・・その繰り返しだった。